クローバーの幸せ。

最近、よく時間を間違える。

子どもと共に生活していると、「早めに行動しなければ!!」「余裕を持って準備しなければ!」と気ばかり焦り、天麦くんを急かしたてて目的地に急ぐも、その甲斐空しく、平気で1時間を読み間違え、目的地に着くなり「あれ?」という事がよくある(笑)。

1時間早いパターンならまだしも、遅い場合だと、時間の読み間違いとは言え、ショックも大きい。

先日も、親子で通う空手道場に着くなり、時間の間違いに気付き、ハッとする。

その日も道場に行く途中、いつも会う、草花を丁寧に手入れする優しい品のあるご年配のご婦人がいて、いつも草花の説明やお話しを私達にしてくれる。

この日も挨拶をして又来た道を戻ったので「時間を間違えちゃいました~」と言いながら、草花の話しをしていたら、「しあわせみぃつけた!」という立て札があるクローバーの鉢植えを見つけた。

ご婦人は、その中からパッと小さな四ツ葉のクローバーを探し当て、天麦くんに手渡してくれた。

そして、もうひとつ、ひとまわり大きなクローバーを私に差し出し、「親子で幸せに」と言ってニコリと笑ってくれた。

秋の風と優しい言葉に、時間の読み間違いの失敗の心は、ゆるりとほどけた。

そして、又1時間後、道場に戻る親子であった。(笑)

おうち◯◯。

このコロナ禍で、「おうち◯◯」という言葉が浸透し、そんな「おうち◯◯」は、実践してみると、意外に楽しみに繋がる。

すっかり世の中に浸透している「おうちごはん」もそのひとつ。

しかし、マメに買い物に行くと、必ずや余計な物まで買ってしまったり、献立を考えてから食材を買いに行くのも余計な出費を招くため、週に一度を目安に、マーケットに並ぶお買い得食材を購入後、献立を考えている。

そして、そんな「おうちごはん」と「おうち居酒屋」のコラボで、日々の食の楽しみも増す。

そして、「おうち幼稚園」もそのひとつ。

時間割のように毎日の活動を進め、天麦くんと共に実践する。

朝は、歯磨き・洗顔から始まり、ラジオ体操を行う。

10分間の体操時間中、後半はダラダラし始める(笑)。

ちょうど天麦くんの胸のところに蚊に刺された後があり、赤くなっているところを指して「僕はウルトラマンだから、3分しか出来ないんだよぉ…」とフニャフニャしながら、なんとか後半はやらずに済むよう懇願してくる(笑)。

思いきり怪獣の方が好きなのに、この時ばかりはウルトラマンに成り上がる。

「いや、やって」と、私は冷たく言い放ち、何とか10分間をフニャ男もやりきる(笑)。

そして、朝食後は30分間昔のファミコンゲームをやり、終了後は嫌々ワークをやる(笑)。

その後は、怪獣やブロックを使って、一人ごっこ遊び開始。

そして絵や工作・ねんど遊び・おばあちゃんと共に、花のアレンジメントらしき創作生け花時間等で過ごすが、決まって工作の時には「僕は見てるタイプだから…」と私にやらせる。

楽しそうにやる親像を演じてみたものの、本人の食い付きは悪く、苦手分野らしい工作は、夏休み後半は親も諦める(笑)。

昼食後の午後は水遊びや運動遊び。

水遊びはプールにためて遊ぶのではなく、水道のホースから永遠に出して遊ぶ傾向なため制限をかけるが、そうなると短時間で遊びが終わる。

運動遊びは目の前が公園なのでとても有難いが、バドミントンやボールを持参してもあまりやらず、先日は公園内の丈の長い雑草を抜き始め、抜いた雑草が大量になったため、家からゴミ袋を持参する羽目になった(笑)。

夕方になるとピアノの練習が始まり、私は鬼と化す(笑)。

が、本人は一応終わるまでは席は立たずに辛抱強く取り組むため、ピアノは頑張っている様子。

そしてようやくYouTubeタイム。

こちらは30分間~1時間程視聴。

現在は「オダケン」と言う方がホラーゲームばかりを実況する番組を見続け、クッションで顔を隠しながらのチラ見を繰り返し、最後は怖くなって自ら視聴をやめる(笑)。

本人は、実際の遊園地等のお化け屋敷は入れないものの、怖いもの見たい好きなので、「おうちお化け屋敷を作ろう!」と張り切って、私が段ボールで組み上げ、絵の具を塗り、それっぽく文字まで書いて血に見立てた赤絵の具をつけたお墓を作ったら、あまりにリアル過ぎて親子で怖がる羽目になり、数日後には処分(笑)。

あっという間に一日が暮れていく。

この夏休み、親子で過ごした毎日は、怒りながら、笑いながら、たくさんの事を伝えながら、色々な感情が入り交じる日々だった。

そして、2021年の夏休みが終わる。

コロナ禍の不安は、これからも親子で解決しながら、明日へと繋げよう。

そして、私も又幼稚園の子ども達のために、何が出来るかを考えながら、2学期をスタートさせたいと思う。

食。

依然として新型コロナウイルスの勢いが止まらぬ中、職域で2回のコロナワクチン接種が無事終了。

しかし、1回目の接種の日、この日を逃すと以降はしばらく打てなくなるという日に打ちに行ってしまったため、待ち時間は2時間以上にも及んだ。

その際、お隣りに並んでいた女性の方と話しをさせてもらい、聞けば、保育園の給食の方だと言う。

その方とは以前から知り合いではないかと思えるくらいの喋りやすい方で、その方のおかげで、待ち時間もお喋りで楽しめる時間となった。

食について色々話している際、給食が残されて戻ってくるのは淋しさもありながら、今の時代仕方のない事もあると話しつつ、あるお子さんが、毎回グレープフルーツが入ったお皿のラップさえも外されず、手さえもつけてもらえず、先生にもチャレンジすらしてもらえないという話しがあった。

多分、どうしても食べられず、ラップを外す事すら困難な状態なのかもしれない。

アレルギーはなくとも、食べなければいけないものではないのは承知していながら、私も改めて、飽食について考えさせられる。

ほとんどの人が食べたいと思ったものは何でも手に入れられ、マーケットに行けば、所狭しと様々に豊富な食品が並び、食べたいと思った物は自由に選んで食べられる現代。

だからこそ、いつしか食への関心は低下し、好き嫌いが増え、栄養バランスも偏りがちになり、食べ残しも多くなり、悪循環も生まれる。

私の幼少時代、「出されたものは食べなさい」精神で教えられ、今でこそ全く問題なく食べられるが、あの当時の苦手なものと言えば、大葉くらいだった。

大人になれば大抵の物は食べられるようになり、だからこそ今食べられなくても、無理して食べなくてもいい事も重々承知だ。

でも、私自身がいつも思うのは、苦手なもの、嫌いなものは残してもいいから、いつかチャレンジ出来る日を目標に、その時の状況を、きちんと子ども達に言葉で知らせていければと思う。

「まずは出されたものをよく見てみよう!」
「もしかしたら、次はチャレンジ出来るかもしれない!」
「いろんなものを色々食べてみる事で、どんどん体は強くなるよ!」
「知らなかった美味しいものが、世の中にはたくさんあるよ!」

こんな事を考えながら、子ども達と話し合う事が、子ども達の未来にも繋がるのではないか。

だから私なら、前述のグレープフルーツの話しには、そのまま戻す前にお皿のラップだけは外し、「見て!どんな形してるかな?食べてみたらどんな味かな?いつか食べられるといいね!」等、前向きに子どもと話すようにしたい。

私も自分の子どもが小さい時は、作った物をあまり食べてもらえない時に、よく悲しい気持ちになっていた。

その時期は、食材を細かくしたり、見た目を変えたり試行錯誤をしながら出していたが、大きくなるにつれ、食事を出す時には「世界には食べられない人もいるんだよ」と地球規模の話しをし(笑)、「今日は、このごはんだよ!」と、目の前だけの食事を食べるような諭しで進めていった。

その甲斐もあってか?、自分の子は特別好き嫌いなく平らげてくれるようにはなったが、子どもによっては個人差や子ども特有の食に対しての感じ方の違い、様々な理由もあるかもしれないので、それこそ子どもにより、やり方も試行錯誤の連続かもしれない。

でも、継続は力なりで、伝え続ける事、やり続ける事が、大きな一歩になると信じている。

以前、里親として預かった高校生の一人は、日々の食事はフードバンクからの缶詰などでお腹を満たし、温かいものは食べれず、ご馳走と言えば「ツナ缶」だと言っていた。

そんな彼女が家に来てから、何でも「美味しい、美味しい」と平らげ、あっという間に太ってしまったと笑いながら言っていた。

食は笑顔も運ぶのだ。

だからこそ大人は、様々な試行錯誤と出来る限りの工夫をしていきたい。

今年度、園内の食育の一環として、大根とトマト収穫を行ったが、そうした事が子ども達の何かしらの食に対して関心が持てる「きっかけ」のひとつになればと願いつつ、今後も「食」については、大いに考えていきたい。

おじぎ草

 6月のしまじろうの教材付録に、おじぎ草の栽培キットがついてきた。

 小学生の時に学んだような、育てたような、触った事があるような、そんなおじぎ草。

 早速中を開け、説明書に従って種まきをしてみる。

 種まきをする入れ物部分の左右には、水入れと小さなメガホンを置く場所がある。

 水をあげた後は、小さなメガホンを使い、おじぎ草に「頑張れ~!」と応援の言葉をかける流れ。

 植物に向けた言葉や音楽は効果的だと、何かに書いてあった事を思い出した。

 1か月が経ち、おじぎ草が育ってきたところで、葉を触ってみる。

 すると、その名の通り、葉がおじぎをする。

 しかも、本当に、健気に丁寧に、ゆっくりとおじぎをする姿に、初めて目にした時、なんとも言えない感動があった。

 天麦くんは面白がってすべての葉を触る。

 次々とすべての葉がおじぎをしてくれる。

 この葉を見ていると、とても優しい気持ちになれた。

 この気持ちは、きっと子どもの頃には感じえない気持ちだったかもしれない。

 日々、せわしなく、慌ただしい毎日の中の、ほんのひとときのゆったりした気持ちだった。

 おじぎ草を育てている中で変化したのは、時間の使い方だ。

 親子一緒に、時間に追われ、慌てて、急いで、焦って、をやめるきっかけにもなった。

 おじぎ草の力は偉大だった。

 そして、「なぜおじぎをするのか?」そんな疑問を共に考えられるくらいに、天麦くんは成長をしていた。

 調べてみると、オジギソウの葉は、つけ根に空気枕のような細胞がついていて、この中に入っている水分が、葉の先に指でさわると、葉から軸のところにある細胞に「触られた!」という信号が届き、細胞の中の水分が片方だけ抜けて縮んでしまうそうだ。

 説明してその時は分からなくても、どこかで又同じ話しが出た時に、なんとなくでも覚えていてくれたら、きっとこの、親子で一緒に見たおじぎ草の一場面が蘇ってくれるかもしれないと、そんな事を思い馳せるだけで、私にとってこんな一場面は、キラキラと輝いて見える。

 子どもは日々成長する。

 言う事も大人顔負けのものともなり、言い訳も言いぐさも手強さが増す。

 中々言う事も聞かない場面も増える。

 3歳迄を思い起こすと、こんな風になるのかと(笑)、子育ての大変さを改めて感じる。

 けれども、にっこりと笑いかけ、優しくおじぎをしてくれるおじぎ草が、私に優しさを届けてくれるような、そんな気持ちを、いつも思い出していたい。

Green Tea

近所のマーケット前に、週に一度、日曜日だけやって来るお茶屋さん。

お父さんであるご主人と、その息子さんのお二人が、いらっしゃるお客さん達に、温かく、優しく、心ある接客でお茶を売る。

私は決まって、その場で混ぜ混んでくれる、抹茶入りほうじ茶を注文する。

購入しているそばから、次々とご年配のお客さんがやって来ては笑顔で話しをし、お茶を買って行く。

そんな日常の日曜日の風景は、なんとも心暖まる風景だった。

特におばあちゃま方は、品のある、優しく素敵なお二人の親子とお喋りをする事で、心の活力と元気をもらっているようだった。

そして、そんな光景から、しばらく息子さんの姿しか見かけなくなったある時、お父さんの事を何気なく聞いた。

「亡くなったんですよ。」

その言葉を聞いた途端、驚きのあまり声をあげた。

このコロナ禍の中、ガンが見つかり、治療するには、家族とは面会も出来ず、病院での治療で終わる場合もある。

そして、ご主人が選択したのは、最期まで家族と共に過ごせる、治療ではなく、家での療養だった。

そうして、家族に見守られながら、天国へと旅立ったという話しを聞き、涙がこぼれた。

ご主人は、1からこのお茶屋さんを立ち上げた。

店舗は持たず、こうして色々な場所を拠点としてお茶を販売するスタイルで拠点を増やしていくには、人望や努力、懸命なひたむきがなければ、到底獲得しえなかった、努力の賜物があると思う。

そんな大切な販売拠点は、お父さんから譲り受けたもの。

そして、息子さんがそのあとを受け継ぐ。

「父親がいた時は、なんでも相談が出来ましたが、今は、相談出来ないのが淋しい。」
と、語った息子さん。

マーケット前で、一人お茶を販売するのは、淋しくもあり、時に辛い時も多々ある事だろう。

でもきっと、乗り越えなければならない壁なのだ。

私は、たくさんの笑顔と優しさをくれたご主人に哀悼と、息子さんへの応援の意味も込め、手紙と花を贈った。

息子さんはとても喜んでくれ、手紙はこれからのお守りにしますと言ってくれた。

そして、次に伺った時には、お返しにと急須をプレゼントしてくれた。

白い花が咲いた、ピンクとグレーの渦巻き模様の、温かく優しい色合いの、急須だった。

この急須で飲む、購入した抹茶入りのほうじ茶の味は、又格別だった。

コロナ禍の中、これからも、容赦なく現実は襲いかかるだろう。

その度に、悩み、心を痛める事も多々あるだろう。

けれど、必ず、人が人を救ってくれると信じている。

これからも、この街に、Green Teaが幸せを運んでくれるに違いない。

母に感謝する5月(vol.6)。

「ひのまるこちゃんの部屋」6周年と共に、母への感謝の日。

コロナ禍は依然、続く。

母の「おうち時間」は、花を生けたり、花壇の手入れをしたり、絵を描いたりと、ゆるりとした時間をイキイキと使い、楽しんでいる。

花壇に咲く花々を手入れしながら「あの花、もうダメかと思ってたけど、又キレイに根付いて来たのよぉ!」「マーガレットがたくさん咲いたぁ!」と、花達の事を意気揚々と話す。

去年母にプレゼントした「てまりてまり」という、ふんわりした小花がぎっしりと手毬状に咲いている、可愛らしい名前のアジサイ。

たった数日で根ぐされを起こして枯れてしまったアジサイを花壇に植え替え、今年又、葉っぱがキレイに再生し、淡く優しく爽やかに咲いてくれるのを楽しみにしている母。

そして、そんな事を書いていたら、昨年の「母に感謝する5月」は、コロナ日常に追いやられ、なぜかすっかり書き忘れていた。

2年ぶり、コロナ禍の中でも元気な母は、「チョココロナ(チョココルネ)買って来たよ~」と普通に言う(笑)。
もう、コロナウイルスという言葉が、染み込み過ぎている。

日差しも出てきたこの季節、外出時に引き出しから出したボンドを日焼け止めと間違え、手のひらに出してから気付く母(笑)。
肌に塗っていたら…恐ろしい。

あんなにも大人気の「鬼滅の刃」も、母にかかれば「キムチの刃」(笑)。

喉が渇いたという天麦くんに、自販機前で「Zoo、買ってあげるよ!」と言ってくれるも、「Qoo」の事…(笑)。
動物園かっ。

「おばあちゃん、行きたいところどこ?」と天麦くんに聞かれ、「膝」と答え、どうやら「痛いところ」と聞き間違えた模様(笑)。

写真を撮る時に、母がほっぺに手を添えて撮っていたら、天麦くんから「花かよっ!」の突っ込み(笑)。

そう、すっかり年長に成長した孫からの突っ込みは、年々パワーアップしており、二人のやりとりコントは更にレベルアップ。

そんな天麦くんが年長になり、出来ない事が多々ある事は重々承知とは言え、出来る事をひとつでも増やしていきたいと思う親の私は、時に厳しく言ってしまう事もあり、様々な日々の葛藤を感じながら、言い過ぎる私に時折母は、「天麦くんは天麦くんだもんね~」とニコやかに言う。

皆が出来ている事をきちんとやらせたいと思ってしまう親都合の心に、そんな母の言葉が心に刺さる。

そう、その通りなのだ。

だからこそ、母の様々な勘違いにも、心和むのだろう。

今年も心から、そんな母に、ありがとう…。

リニューアル。

近日、日の丸幼稚園ホームページが、新しくリニューアルされます!

プロの制作会社にお願いをし、日の丸幼稚園のテーマカラーから、内容、文章、ロゴ、絵、写真など、あらゆる方面を担当の方とやりとりをしながら、着々と仕上がっていきました。

テーマカラーは、温かさと優しさを基調とし、日の丸らしさが全面に出ています。

どうぞお楽しみに!!

リニューアルに伴い、「ひのまるこちゃんの部屋」は自由気ままな私発信のため、アイコンからは姿を消し、ホームページトップ画面をクリックすると一番下部に「ひのまるこちゃんの部屋」がある形となりますので、引き続き見て頂ける方は、お探し頂けると幸いです。

今後共、6年目となる「ひのまるこちゃんの部屋」を、どうぞよろしくお願い致します。

彩り。

3月、春。

別れと出会いが交差する季節がやってきた。

今年も、退職の先生を、見送る側。

3人の先生達は、子どもからも、保護者からも、愛されていた。

そんな先生達は、日の丸での思い出を胸に、これからの未来を思い描きながら、又新たな人生を歩む。

人生は不思議だ。 

たくさんの出会いは、いつか別れがやってくる。

それこそがきっと、その出会いと別れは人生に於いて、きっと必要な事だったのだと思えるのかもしれない。

けれども、人の人生に少しでも関わる事が出来、どこかで、何かの折りに、自分の事を思い出してもらえる事があったなら。

そう思うと、別れの淋しさは、希望にも繋がったりする。

年齢を重ねる事で、得られる喜び、失う想い。

人は、いつでも前を向く。

いや、前を向かなければならない。

この事も、人生には必要不可欠なのだ。

日々が試行錯誤の連続。

ほんの少しでも、誰かの役に立っているかもしれない自分の存在を想像しながら、又新たな自分探しの旅をする。

ミスチルの「彩り」という歌が好きだ。

「なんてことのない作業が回り回り回って
 今僕の目の前の人の笑い顔を作ってゆく
 そんな確かな生き甲斐が日常に彩りを加える
 モノクロの僕の毎日に 頬が染まる 温かなピンク
 増やしていく きれいな彩り」

天麦くんの幼稚園の担任の先生一人も、今年度で退職をされた。

事務の先生の一人も、退職をされた。

発表は、終業式だった。

昨年もそうだった。

この園は、書面での正式な退職発表が4月であり、園の方針と言えば致し方ない事かもしれないが、せめて少し前にはきちんとした書面で知らせて欲しいと思うのは、親と子の心情だ。

別れが突然であれば、その準備も出来ないままの、悲しさだけが残る別れとなる。

別れがあり、出会いがある事を、子ども達に教える立場の私達は、お別れもきちんと行う事で、子ども達が、「別れ」というものを意識して日々を過ごし、そして別れの日を迎え、その事が未来の希望にも繋がっていくはずだ。

子ども達に、別れを通し、大切な「人との繋がり」を教えていきたいと、常々思う。

今年度も、3人の先生達は、日の丸に彩りを添えてくれた。

たくさんの色が、様々な保育に映し出されていた。

天麦くんの園の先生達も、子ども達に、そして保護者にも、たくさんの彩りを残してくれた。

それぞれがそれぞれにいた場所から、又新たな未来へと歩き出す先生達に、心からのありがとうを伝えたい。

そうして又、新たな始まりが訪れる。

正義の人びと。

六本木の劇場で行われた演劇「正義の人びと」。

フランスの文学者であり、思想家である、アルベール・カミュの不朽の名作。

その演劇に、友人が出演。

コロナ禍の中、座席数を減らしての上演だった。

彼女は、革命を志すロシアのテロリストの若者の一人「ドーラ」を演じた。

本当の正義とは何か、を考えさせられ、人間の内に秘めた様々な葛藤や憎しみ・愛について、深い内容で物語が進められる。

3時間程の長丁場の上演を、少ない場面展開で数人の役者さん達が演じる様は、本当に素晴らしかった。

スポットライトを浴びた役者さん達は、輝きを放ち、演じる喜びに満ち溢れていた。

そして、上演後の役者さん達によるアフタートーク。

彼女は、コロナ禍の中、劇場に足を運んでくれたお客さん達を労った。

そして、こうしてお客さん達の前で演じる喜びと、生の演劇でこそ届けられる演劇の魅力を、熱く語った。

「演じる」事が何よりの彼女の生き様なのだと、深く心を打った。

それはまさしく、劇団「俳優座」の役者そのものだった。

彼女は幼少期からバレエを習い、高校生の時に演じた「ウエスト・サイド物語」がきっかけで、芝居への道に進む事を決意。

そして、大学の演劇学科に進学をし、劇団への道へ。

研究生から始まり、正式な劇団員になるまでには、生半可な覚悟では辿り着けない。

そんな世界で生きると決めた彼女を、ある時、生きる希望を見失う程の葛藤と苦しみが襲う。

人生は一度きり。
思いきり、好きなように生きていく。
あとから悔やむことのない生き方を!

そして彼女は、見事に困難を乗り越えた。

「止まない雨はない」

「どんなどしゃ降りの空も、いつかは晴れる」

彼女が好きな言葉。

役者として演じる幸せを自ら掴み、人生の幸せにも繋げている魅力溢れた彼女とは、自宅が近い事もあり、会う度何時間も語り明かす。

役者に、祖母の介護に、子育てに、日々を奮闘しながら生きる彼女は、又「誰か」を演じる日の為に、今日も懸命に生きる。

そんな彼女に、心からのエールとたくさんの拍手を送りたい。

お笑いと音楽。

2021年となり、依然としてコロナ禍の現状は続き、光が見えながらも暗いトンネルを歩いているような、時折心に影を落とす。

そんな時、年末年始のお笑い番組は、私に元気をくれた。

年末には、ナインティナインの「おもしろ荘」。
年始には、ダウンタウンの「ドリーム東西ネタ合戦」。

東西ネタ合戦では、この番組でしか見れない、友近&近藤春菜のコラボコントに、昨年同様大笑いをする。

「俺が世界で初めて前髪を作ったんだよ!」
「私が一番最初に切り過ぎたんだよ!」
「俺だよ!」
友近扮する徳子と、近藤春菜扮する徳男が、次々にかぶせ加減で主義主張するコントが、とんでもなく面白い。

家田荘子を金髪にして、出家感出すなって言ったの、俺だよ!」(笑)

もう、小ネタひとつひとつに大爆笑。

そんな徳子と徳男を、うちのおばあちゃんと天麦くんが繰り返し真似をし(笑)、又笑う。

こうして、笑いが元気を運ぶ。

そして音楽も同様。

天麦くんが赤ちゃんだった頃、あたふたと手探りしながら子育てに必死だった毎日。

そんな心を癒してくれたのは、「ゆりかごの歌」だった。

この歌を聞き、天麦くんにも歌ってあげていたあの頃、穏やかに、心救われた。

そして今、若い頃から何度も聞いている、アメリカの黒人ジャズ歌手、サラ・ヴォーンが歌う、私の大好きな「ラヴァーズ・コンチェルト」もそのひとつだ。

夜、眠る前にCDをかけようとすると、「あの歌にして」と、天麦くんはサラ・ヴォーンのジャズアルバムのCDをリクエストする。

音楽を聞き、深呼吸しながら、今日の日を振り返る。

時には過去にまで思いが及ぶ。
それも又いい。

そんな夜のひとときが素敵なものになるのは、音楽そのものが、感情をも揺り動かす、とてつもない力を秘めているからに他ならない。

静かな夜×癒し×リラックス×明日への活力。

ジャズを聞きながら眠れる、心穏やかな幸せ。

そうして年が明けてからの毎日、私の大好きなラヴァーズ・コンチェルトを幕開けに、サラ・ヴォーンの歌声を聞きながら、「明日も平穏であるように…」と、今日も私達親子は、静かな眠りにつく。