かいけつゾロリ。

天麦くんの小学校では、一週間に一度、校内の図書館に行き、好きな本を借りられる時間がある。

最近、毎週のように借りて持ち帰って来るのが、テレビアニメでも一緒に見ていた、かいけつゾロリシリーズ。

テレビアニメでも面白いと思いつつ、本で読むと、その何十倍も面白く、作者の原ゆたか先生の老若男女問わずのギャグセンスと、隅々まで面白く読者を楽しませ、引き込ませる力は、大人の私もハマる、魅力溢れる一冊だった。

キツネの主人公「ゾロリ」と、双子のイノシシの子分「イシシ」「ノシシ」が冒険劇を繰り広げ、旅をしながら悪事をしつつも、どこか憎めない性格で、旅の各地では必ず女性に恋心を抱き、毎回失敗して振られるというお決まりの顛末ながら、周りの人々はゾロリと出会い、幸せになっていくというお話し。

そんなゾロリは、原ゆたか先生自身も好きな、人情味溢れる男はつらいよの「寅さん」そのもので、ゾロリ自身の目的は達成出来なくとも、関わりを持った誰かを少しだけ成長させたり、幸せにしたりして去っていくような、回を追う毎に、そうした憎めないキャラクターへと変換させていったそう。

そして、気付いた人が笑ってくれればいいというオヤジギャグやパロディも所々で散りばめられ、そんな渋い笑いが好きな私にも、ピッタリマッチするのである。

そして更に、めっきり老眼になり、本をめくるのにも一苦労の私に、この児童書は、とても読みやい(笑)。

作者の原ゆたか先生は、「ゾロリの姿を通して、失敗しても前を向いて次に進む事、子ども達が嫌な思いをした時に、失敗ばかりのゾロリよりは自分の方がまだまし、あんなに失敗しても立ち直っているから自分も頑張ってみよう!と、ポジティブな気持ちになってもらえると嬉しい」と語っていて、子ども達の事を常に考えながら暖かい視点で描かれているのが伝わってくる。

子ども達が出会う絵本や本には、夢や希望、教えや励まし、勇気や元気等、沢山のあれこれが詰まっている。

そんな本に沢山出会って欲しいと思う親心とは裏腹に、天麦くんは進んで熱心に読むタイプではない(笑)。

けれども、そんなタイプだからこそ、一冊・一冊は重みを増すに違いない、と信じよう(笑)。

次は、どんな本を借りてくるのかと、そんな親の楽しみもひとつ増えた。

そして大人になった時、「本はあまり読まなかったけど、ゾロリだけは読んでたんだよね」と、いつかそんな会話をする日が来る事も、楽しみにしている。

母に感謝する5月(vol.7)。

ひのまるこちゃんの部屋、7周年と共に、母への感謝の日。

多少なりとも、緩和されつつはある、コロナ情勢。

母の「おうち時間」は、依然として健在で、今は特に、水彩画に力を入れている。

70代にして、集中力・根気強い取り組みには、いつもながら頭が下がる。

家の花壇に咲く花々は、母が手入れをしているからこそ生き生きと咲き、だからこそ、今年は新しい花はいらないと言う。

ならばの今年は、洋服のリサイクルショップ巡りを敢行し、共に様々な洋服に、ワクワクと宝探しのように、見てまわった。

母は、洋服には今だに興味が薄れず、日常着でも、洋服の上下を合わせるのに、余念がない。

そういった服への興味は、年齢を重ねれば重ねる程、とても大切だ。

そんな母の面白語録は、今年も依然衰えず。

おもちゃ屋さんにあった変身ベルトの事を、「シートベルトあるよ!」と言うので、違うよと言うと、「あ!チャンピオンベルトか!」…2段階まで間違う母(笑)。

囲碁の事をこれなぁに?と天麦くんに聞かれ、「おはじき」と伝え、違うよと言うと、「そうだ、オセロだった!」と、又も2段階まで間違う。

「おばあちゃん、大きくなったら僕が何か買ってあげる!何がいい?」と聞かれ、「入れ歯!」と即答(笑)。

「いけ」の「い」を「お」に変えるとなんでしょう?と聞かれ「IKKOさん!」と、全く合っていないにも関わらず、こちらも即答(笑)。

もはや、神がかっている。

天麦くんも1年生になり、小学校に堂々と向かいつつ、強い自己主張も出てきた。

自分で経験しながら得ていくあれこれを積み重ねながら、年齢ばかり重ねている私は、様々な事を、重ね重ね言いたくなる。

そして、そんな私の話しに、時に、耳を塞ぎながら聞いている。

そんな時、私はふと、我にかえる。

習っているピアノアンサンブルの練習も、どんどんレベルが上がるにつれ、私までどんどんと口うるさくなり、練習にも時間を費やし過ぎてしまうこの頃。

気がつくと、練習時間も長くなり、その内本人は、椅子から反り返る。

そうして私は又、ふと我にかえる。

ワークをやり、横で教える私は、間違いを指摘する。

私のその言葉に、消しゴムで文字を消しながら、本人はワークのページをわざとグチャグチャにする。

又私は、ふと我にかえる。

近頃は、毎日がずっとそんな繰り返しだった。

そんな私にさえ、「私が天麦くんを見てるから、コーヒーでも飲んで来ていいよ」と声をかけてくれる母。

そして、コーヒーを飲みに行った先で、天麦くんのお友達のママとばったり会い、二人でお喋りをした。

二人で子育ての話しをしながら、この日、彼女のお子さんが小さい時、口腔内の手術を行い、今も尚リハビリに通っている事を、初めて知った。

クラスのお友達に喋りの聞きとりずらさを指摘され、本人が悲しい思いをしていた時、彼女はいつも「相手に内容が伝わらなくても、気にしない!」と伝え続けたと言う。

そして、その事は、後に本人の力や勇気となり、今では臆する事なく、堂々と喋る事が出来ていた。

そんな親子の関わりに涙した私と共に、彼女も泣いた。

彼女は「謎の涙」と言いながら、笑った。

先日は、近所のコンビニの、姉さん店長に言われた。

「すべては、気にしない事だね!気にしなくていいのよ!受け入れるしかないのよ!」

と、姉さん店長が私の言葉を畳み掛けるように力強く発してくれた言葉は、コーヒーを飲みながらお喋りをした彼女同様、私に元気をくれた。

時折、こうして立ち止まり、見つめ直すきっかけをくれる、様々な周りの人達。

日常の毎日を積み重ねながら、自分なりに試行錯誤を繰り返し、自分の子どもとの関わりを工夫していきたい。

母が、母の日が、何かを考えるきっかけとなった今年も、母には、今年もありがとうと伝えたい。

卒園から入学。

日の丸の卒園式が終わり、天麦くんの卒園式も終わり、幼稚園の、親の立場の卒園というものを、身を持って体験した。

淋しさで一杯の親の気持ちに対し、当の本人の心はすでに小学校に向かい、楽しみで仕方のない様子だ。

天麦くんの卒園式は、クラス毎での開催の中、入場から泣いた。

そして、理事長先生の「二宮金次郎」の話しで、涙が止まる。(笑)

一人ずつ壇上に上がり、年少組で同じクラスだったお友達には、更にその成長ぶりに、感動を覚えた。

思えばコロナの存在がなかった年少組の時には、参観や遠足等、親子で参加出来るあれこれに、胸踊らせていた。

年中組からは、お友達の名前もままならず、保護者と顔を合わせる機会もほとんどなく、年長組になり、前年も一緒のクラスのお友達だったというのも、後々判明する程であった。

天麦くんは特に、家でも幼稚園の話しをほとんどしなかったため、この一年も卒園が間近になってから仲の良いお友達が判明するような具合だった。

この年齢になって、子どもを通してママ達と仲良くなれた事は、私にとっては本当に素晴らしく有難い事であった。

卒園してから、クラスは違えども仲の良かった、藤井風が好きな渋いお友達と会い(笑)、制服を着て写真を撮った。

芝生のある大きな公園で、二人の制服姿は、とても映えていた。

お互いお笑い方向の二人は、静止画を撮るのに一苦労だったものの、二人の良さが十二分に発揮出来た写真を撮る事が出来た。

そうして、二人のコントが始まる。

コント「コンビニ」と、どこからともなくお題がやってきて、相方がボケると天麦くんはすかさず「なんでやねん!」と、吉本新喜劇ばりの突っ込みを入れる。(笑)

そんな二人の姿に、心から笑った。

そして、コントの後には持参したおもちゃの銃を手に、「ハト警察」と称してハトの取り締まりが始まる。

本物の警察官に声をかけられ、敬礼をする二人。(笑)

二人の世界は不思議で、常に笑いが生まれる遊びが出来る事が、仲の良い秘訣なのかもしれない。

色々なタイプの色々なお友達と出会い、幼稚園という場は、私達親子に彩りをくれた。

大きな心と優しさで包んでくれた担任の先生達。

孫もいる担任のベテラン先生は、毎日のように男子と戦いごっこに興じてくれ、「先生は自分が一番大好き!だから、皆にも自分を好きになってもらいたい!」と常に豪語していた。

私自身、「自分が一番大好き!」と、果たして胸を張って言えるだろうか。

自問自答した。

私もその先生から、たくさんの事を学んだ。

面談では、天麦くんが小学校でも、人の助けを借りるべき事を教えてくれた。

自分の周りの人達に、いつでも助けを借りて良いのだという事を学んだ。

私自身、この年齢でもまだまだ学ぶ事だらけだ。

だからこそ、子どもの学びは無限大。

可能性や未来の広がりが、又この入学式から始まる。

時折吹く、春の風は暖かい。

そして、心も暖かい始まりであった。

コロナとの戦い。

新型コロナウイルスの第6波には、今まで以上に心が落ち着かない。

皆で力を合わせて頑張ろうという気持ちで取り組んでいる毎日…

その前向きさとは裏腹に、心は先々の不安ばかりだ。

決断を迫られる事、ルールややり方、日々のあり方等、常に考えねばならない事案が多々やってくる。

それが仕事だと言えば正にその通りであるが、ひとつひとつの対応そのものに神経が張り巡らされる。

担任の先生達も常に気を配り、子ども達の安全を第一に考えて毎日の保育を行ってくれている。

事務所の先生達も、真摯に対応をしてくれている。

チーム一丸となり、このコロナに立ち向かっている真っ最中だ。

生きていると本当に色々な事がある。

今起きている現実は、映画やドラマの話しではないかと、朝起きる度にふと思う。

「なんとか生きていれば、それなりに楽しい事があるから。」

と、ガンを患いながらも大らかに、明るく生き続ける人が言った。

自分の気持ちの持ち方こそが、人生を大きく変える。

朝ふと見ていた、新たなプリキュアの主人公も、「この世で一番強いのは、誰かのために頑張る心!」と言っていた。

日々の戦いはこれからも続く。

けれど、「頑張る心」を忘れずに、この現実を歩いていく。

卒園式まであとわずか。

子ども達にとって、楽しい毎日でありますように。

お遊戯会とは。

今年も無事に2学期を終える事が出来、それもすべて、担任の先生達のおかげだ。

年間を通し、日の丸の1番のメイン行事は、お遊戯会。

今年もクラスそれぞれの個性を生かしたお遊戯や劇、そしてクラスが一丸となって練習し、当日を迎えた。

今回初めて、お遊戯会について深く考えせられた。

お遊戯にも、劇にも、クラスのテーマや目的がある。

特に、年中・年長組の担任の先生達は、練習開始の前に、劇の配役決めからどのように進めていけば良いのかを、長い時間をかけて話し合っていた。

私は当初、自分の経験談と軽いアドバイスで先生達に流れを伝えたが、それ以上に先生達は、子ども達と共に芯から作り上げる劇を目指し、考えに考えを重ね、話し合っていた。

その姿に、私は反省し、流れについては今一度考察し、きちんと文書にまとめ、再度先生達と話し合う場を持った。

その後、クラスでお遊戯会の話しから始まる。

劇の配役は、「どの役もなくてはならない役」「どの役も大切な役」「どの役も主役」。

どのクラスの子ども達も、真剣に先生の話しを聞いている。

配役決めには充分な時間をかけ、子ども達皆が満足する配役が決まった。

それも、先生達が心からの言葉を伝えたからこそ、子ども達の心に響いたのだと思う。

そんなスタートから、練習が始まった。

演出に、流れに、衣装に、小道具・大道具製作等、すべてを担任が考え、子ども達に指導をしながら毎日を費やす。

そうして総合練習や予行練習、当日を迎える。

子ども達と費やして来た日々は、本当に宝だ。

この先の子ども達の未来には、この思い出が、いつかきっと蘇る。

そして、ひとつの目標に向かって作り上げた作品は、子ども達の個々の自信にきっと繋がっていく。

私は今回、お遊戯会について、改めてたくさんの事を考えさせられた。

それも、担任の先生達のおかげだ。

「考える事」はきっと、すべてがより良い方向に導いてくれる。

来年も、担任の先生達と共に沢山の事を考え、学期末の集大成を子ども達と作り上げていきたい。

保育は楽しいと、心から又思う、2021年の年末であった。

就学時検診。

来年いよいよ1年生になる、天麦くんの就学時検診に出掛けた。

私も卒業した、創立70周年を迎える小学校。

私の頃からは建物全てが新しくなり、木の質感がなんとも良い雰囲気。

新1年生達が、受付に並ぶ。

並んでいた子ども達は、お友達と再会すると、嬉しそうに笑顔で名前を呼び合う光景が、とても微笑ましい。

書類を受け取り、受付の方達が優しく体育館に案内をしてくれ、歯科・聴力・視力・内科と検査が進む。

歯科では、歯と共に目も見開き、先生に「目は大丈夫だよ~」と言われ、聴力ではいつまで経っても手を挙げず、「聞こえたら手を挙げていいんだよ~」と言われ、視力では紙を左右の目の片側ずつ押さえるところを、検査が始まると同時に紙をずらして両目で答え「紙はそのままにしてね~」と言われ、極めつけは内科検診で、上半身裸になって先生のところに行くと、痩せのガリ男の体にも関わらず、ポーズをつけて見せ、先生は笑いながらも「いい体だね~」と言ってくれ、私は終始笑いが止まらなかった。

知能テストは親は外で待つよう指示されたが、最後の面接では共に教室に入り、色々な質問を先生から受ける。

「お名前はなんですか?」
「通っている幼稚園の名前はなんですか?」
「担任の先生の名前はなんですか?」
と、順調に答えつつ、「どんな先生ですか?」と聞かれ、担任の先生は2人いるので「◯◯先生(若い先生)は、優しい先生です!」
「△△先生(大ベテラン先生)は…」

何と答えるのかなぁ…と思っていたら…

「怖い人です!!」と言い、担当の先生は大爆笑。

隣で私が「多分戦いごっこで、悪役とかやってくれてるみたいなので、それでだと思います…」とフォローを入れていたら(笑)、「じゃあ、天麦くんはどんな役をやるのかな?」と聞かれ、思いきり「くま役です!!」と答え、それ、今度お遊戯会でやる、どうぞのイスのお話しの、自分の役~( ゚д゚)ノと、突っ込みを入れたくなりつつ、担当の先生には、「戦いごっこに動物が出てくるのかな?楽しい戦いごっこだね!幼稚園が楽しそうでいいなぁ!」とそこでも爆笑しながら、先生は優しい言葉を投げ掛けてくれた。

たくさんのワクワクとドキドキが詰まった、新しい世界。

案内してくれた方達や担当の先生方は、そんな、私達のワクワク・ドキドキを、心から盛り立ててくれた。

ランドセルには全く興味がなかった天麦くん(笑)。
購入時は見本を背負わせて本人に似合う紺色を選んだが、3月に届くランドセルを背負い、入学式を迎える日を、待ち遠しく思う。

同時に、幼稚園生活もあと少しとなり、淋しさも募る。

私も、日の丸で年長の子ども達とたくさんの関わりを持って過ごしていきたい。

又来年の4月、桜と共に、素敵な服を身にまとい、真新しいランドセルを背負った新1年生の子ども達の姿を楽しみに。

誕生会。

緊急事態宣言が解除され、感染者数も減り、日常が少しずつ戻りつつある。

そんな中、中国人のお友達のお子さんの誕生会に、招待をしてもらった。

男の子のプレゼントと言うと何を選んだら良いのか中々難しく、今回は大きなチュッパチャプス容器に、ミニオンズ柄の小さなチュッパチャプスがたくさん入った物にした。

家に着くと、扉には、中国ではよく目にする「福」を呼び込むための「福」の文字が書かれた物が飾られている。

扉を開けるなり、子ども達のはしゃぐ声や、中国語のやりとりが賑やかに聞こえる。

この様子に、玄関先で天麦くんは後ずさる(笑)。

靴を脱ぎ、中に入ると、テーブルにはたくさんの大皿料理が、所狭しと並べられる。

豚の角煮に豚足、スペアリブや鶏の足、大量のエビ、中国の春雨を使った野菜の和え物、ニンジンが巻かれた「花巻」という名の蒸しパン等…。

まさに、中国に降り立った、旅行者の気分だった。

席に着くと、一番にバースデーケーキの御披露目。

彼女の子どもが好きな、ウルトラマンが描かれたプレートがメインに配置された、苺のホールケーキ。

通常のろうそくに加え、トミカ型やサッカーボール型のろうそくが、ケーキに賑やかに飾られた。

ろうそくに火を灯し、明かりを消す。

もちろん歌うは、中国のハッピーバースデーソング!

生粋日本人の私達親子は、「ハッピーバースデートゥーユー」の部分にあたる「ジゥーニーシェンリゥ~クァイラェ~」の歌詞を、大きな手拍子と共に語尾だけ中国語っぽくしながらなんとか歌いあげる(笑)。

どうやら中国では、誕生日のお友達の名前を入れるところはなく、同じフレーズを歌うだけだそう。

後から聞くと、漢字では「祝你生日快乐」と書き、「祝你」(ジゥーニー)の部分が、「~おめでとう!」となり、「生日」(シェンリゥー)の部分が「誕生日」という意味で、「快乐」(クァイラェー)の部分が「ハッピー!」「楽しい!」と言う意味なんだそう。

そして、英語バージョンも歌う事になり、私達親子も安心して歌う(笑)。

ケーキを切り分け、子ども達も料理を楽しむ。

天麦くんは、いい色に焼かれたチキンばかりを食べる。

子どもの口に合うかと問われ、「このお肉が美味しいみたいで、食べているから大丈夫よ!」と言うと、「それだけサイゼリアで買って来た」と言われ、慌てる(笑)。

私は渡された手袋をつけ、手づかみで食べながら、中国料理と共に、来ていた皆さんとも会話を楽しんだ。

幸い、お友達の彼女は大阪の笑いも分かる程の日本語の腕前で、意志疎通もスムーズな上、来ていた他の方達も、多少なりとも日本語を話せるのが救いだった。

天麦くんも、すっかり子ども達に溶け込み、持参したチュッパチャプスを皆で仲良く食べながら、楽しそうに遊んでいた。

中国語が分からない私達親子を温かく迎え入れ、国の垣根や文化の違いを越え、交流を持てたひととき。

こうした繋がりは、親にとっても子どもにとっても、とても良い経験だった。

帰りがけには、度数が56度という、驚異の中国酒と豚の角煮をお土産にもらい、帰途に着く。

そして、余韻に浸りながら、豚の角煮と共に驚異のお酒を、教えてもらった通り、ロックで頂く。

一口飲む度に、アルコール消毒液のようにツンと来たあとの、のど越しをカァッーと通り抜け、胸が熱くなる感覚と共に、久しぶりに味わえたこうした日常のひとときに、心も熱くなり、嬉しさを倍増させた。

美味。

クローバーの幸せ。

最近、よく時間を間違える。

子どもと共に生活していると、「早めに行動しなければ!!」「余裕を持って準備しなければ!」と気ばかり焦り、天麦くんを急かしたてて目的地に急ぐも、その甲斐空しく、平気で1時間を読み間違え、目的地に着くなり「あれ?」という事がよくある(笑)。

1時間早いパターンならまだしも、遅い場合だと、時間の読み間違いとは言え、ショックも大きい。

先日も、親子で通う空手道場に着くなり、時間の間違いに気付き、ハッとする。

その日も道場に行く途中、いつも会う、草花を丁寧に手入れする優しい品のあるご年配のご婦人がいて、いつも草花の説明やお話しを私達にしてくれる。

この日も挨拶をして又来た道を戻ったので「時間を間違えちゃいました~」と言いながら、草花の話しをしていたら、「しあわせみぃつけた!」という立て札があるクローバーの鉢植えを見つけた。

ご婦人は、その中からパッと小さな四ツ葉のクローバーを探し当て、天麦くんに手渡してくれた。

そして、もうひとつ、ひとまわり大きなクローバーを私に差し出し、「親子で幸せに」と言ってニコリと笑ってくれた。

秋の風と優しい言葉に、時間の読み間違いの失敗の心は、ゆるりとほどけた。

そして、又1時間後、道場に戻る親子であった。(笑)

おうち◯◯。

このコロナ禍で、「おうち◯◯」という言葉が浸透し、そんな「おうち◯◯」は、実践してみると、意外に楽しみに繋がる。

すっかり世の中に浸透している「おうちごはん」もそのひとつ。

しかし、マメに買い物に行くと、必ずや余計な物まで買ってしまったり、献立を考えてから食材を買いに行くのも余計な出費を招くため、週に一度を目安に、マーケットに並ぶお買い得食材を購入後、献立を考えている。

そして、そんな「おうちごはん」と「おうち居酒屋」のコラボで、日々の食の楽しみも増す。

そして、「おうち幼稚園」もそのひとつ。

時間割のように毎日の活動を進め、天麦くんと共に実践する。

朝は、歯磨き・洗顔から始まり、ラジオ体操を行う。

10分間の体操時間中、後半はダラダラし始める(笑)。

ちょうど天麦くんの胸のところに蚊に刺された後があり、赤くなっているところを指して「僕はウルトラマンだから、3分しか出来ないんだよぉ…」とフニャフニャしながら、なんとか後半はやらずに済むよう懇願してくる(笑)。

思いきり怪獣の方が好きなのに、この時ばかりはウルトラマンに成り上がる。

「いや、やって」と、私は冷たく言い放ち、何とか10分間をフニャ男もやりきる(笑)。

そして、朝食後は30分間昔のファミコンゲームをやり、終了後は嫌々ワークをやる(笑)。

その後は、怪獣やブロックを使って、一人ごっこ遊び開始。

そして絵や工作・ねんど遊び・おばあちゃんと共に、花のアレンジメントらしき創作生け花時間等で過ごすが、決まって工作の時には「僕は見てるタイプだから…」と私にやらせる。

楽しそうにやる親像を演じてみたものの、本人の食い付きは悪く、苦手分野らしい工作は、夏休み後半は親も諦める(笑)。

昼食後の午後は水遊びや運動遊び。

水遊びはプールにためて遊ぶのではなく、水道のホースから永遠に出して遊ぶ傾向なため制限をかけるが、そうなると短時間で遊びが終わる。

運動遊びは目の前が公園なのでとても有難いが、バドミントンやボールを持参してもあまりやらず、先日は公園内の丈の長い雑草を抜き始め、抜いた雑草が大量になったため、家からゴミ袋を持参する羽目になった(笑)。

夕方になるとピアノの練習が始まり、私は鬼と化す(笑)。

が、本人は一応終わるまでは席は立たずに辛抱強く取り組むため、ピアノは頑張っている様子。

そしてようやくYouTubeタイム。

こちらは30分間~1時間程視聴。

現在は「オダケン」と言う方がホラーゲームばかりを実況する番組を見続け、クッションで顔を隠しながらのチラ見を繰り返し、最後は怖くなって自ら視聴をやめる(笑)。

本人は、実際の遊園地等のお化け屋敷は入れないものの、怖いもの見たい好きなので、「おうちお化け屋敷を作ろう!」と張り切って、私が段ボールで組み上げ、絵の具を塗り、それっぽく文字まで書いて血に見立てた赤絵の具をつけたお墓を作ったら、あまりにリアル過ぎて親子で怖がる羽目になり、数日後には処分(笑)。

あっという間に一日が暮れていく。

この夏休み、親子で過ごした毎日は、怒りながら、笑いながら、たくさんの事を伝えながら、色々な感情が入り交じる日々だった。

そして、2021年の夏休みが終わる。

コロナ禍の不安は、これからも親子で解決しながら、明日へと繋げよう。

そして、私も又幼稚園の子ども達のために、何が出来るかを考えながら、2学期をスタートさせたいと思う。

食。

依然として新型コロナウイルスの勢いが止まらぬ中、職域で2回のコロナワクチン接種が無事終了。

しかし、1回目の接種の日、この日を逃すと以降はしばらく打てなくなるという日に打ちに行ってしまったため、待ち時間は2時間以上にも及んだ。

その際、お隣りに並んでいた女性の方と話しをさせてもらい、聞けば、保育園の給食の方だと言う。

その方とは以前から知り合いではないかと思えるくらいの喋りやすい方で、その方のおかげで、待ち時間もお喋りで楽しめる時間となった。

食について色々話している際、給食が残されて戻ってくるのは淋しさもありながら、今の時代仕方のない事もあると話しつつ、あるお子さんが、毎回グレープフルーツが入ったお皿のラップさえも外されず、手さえもつけてもらえず、先生にもチャレンジすらしてもらえないという話しがあった。

多分、どうしても食べられず、ラップを外す事すら困難な状態なのかもしれない。

アレルギーはなくとも、食べなければいけないものではないのは承知していながら、私も改めて、飽食について考えさせられる。

ほとんどの人が食べたいと思ったものは何でも手に入れられ、マーケットに行けば、所狭しと様々に豊富な食品が並び、食べたいと思った物は自由に選んで食べられる現代。

だからこそ、いつしか食への関心は低下し、好き嫌いが増え、栄養バランスも偏りがちになり、食べ残しも多くなり、悪循環も生まれる。

私の幼少時代、「出されたものは食べなさい」精神で教えられ、今でこそ全く問題なく食べられるが、あの当時の苦手なものと言えば、大葉くらいだった。

大人になれば大抵の物は食べられるようになり、だからこそ今食べられなくても、無理して食べなくてもいい事も重々承知だ。

でも、私自身がいつも思うのは、苦手なもの、嫌いなものは残してもいいから、いつかチャレンジ出来る日を目標に、その時の状況を、きちんと子ども達に言葉で知らせていければと思う。

「まずは出されたものをよく見てみよう!」
「もしかしたら、次はチャレンジ出来るかもしれない!」
「いろんなものを色々食べてみる事で、どんどん体は強くなるよ!」
「知らなかった美味しいものが、世の中にはたくさんあるよ!」

こんな事を考えながら、子ども達と話し合う事が、子ども達の未来にも繋がるのではないか。

だから私なら、前述のグレープフルーツの話しには、そのまま戻す前にお皿のラップだけは外し、「見て!どんな形してるかな?食べてみたらどんな味かな?いつか食べられるといいね!」等、前向きに子どもと話すようにしたい。

私も自分の子どもが小さい時は、作った物をあまり食べてもらえない時に、よく悲しい気持ちになっていた。

その時期は、食材を細かくしたり、見た目を変えたり試行錯誤をしながら出していたが、大きくなるにつれ、食事を出す時には「世界には食べられない人もいるんだよ」と地球規模の話しをし(笑)、「今日は、このごはんだよ!」と、目の前だけの食事を食べるような諭しで進めていった。

その甲斐もあってか?、自分の子は特別好き嫌いなく平らげてくれるようにはなったが、子どもによっては個人差や子ども特有の食に対しての感じ方の違い、様々な理由もあるかもしれないので、それこそ子どもにより、やり方も試行錯誤の連続かもしれない。

でも、継続は力なりで、伝え続ける事、やり続ける事が、大きな一歩になると信じている。

以前、里親として預かった高校生の一人は、日々の食事はフードバンクからの缶詰などでお腹を満たし、温かいものは食べれず、ご馳走と言えば「ツナ缶」だと言っていた。

そんな彼女が家に来てから、何でも「美味しい、美味しい」と平らげ、あっという間に太ってしまったと笑いながら言っていた。

食は笑顔も運ぶのだ。

だからこそ大人は、様々な試行錯誤と出来る限りの工夫をしていきたい。

今年度、園内の食育の一環として、大根とトマト収穫を行ったが、そうした事が子ども達の何かしらの食に対して関心が持てる「きっかけ」のひとつになればと願いつつ、今後も「食」については、大いに考えていきたい。