3月。

昨年の3月19日。

私の誕生日に、一時保護をお願いされた高校2年生の女の子。

2か月の一時保護から委託に切り替わり、あれから約一年…

最初に出会った時、彼女はうつ向き、時折涙ながらに小さな声で返事をしていた。

自宅では、電気やガスも止められ、食事もままならず、寒さに凍えながら生活するしかない状態だった。

フードバンクでもらえる物と言えば、缶詰めなどが主で、温かいものや生ものは口にする事が出来なかった。

食べられる時に食べなければと、一気に食いだめをする癖もついていた。

実母に暴言を吐かれ、日常生活もままならず、そんな彼女は心も不安定なまま、家に来ても表情が「無」な状態が続いた。

けれど、温かい食事、自分が安心出来る居場所の毎日で、少しずつ、うつむき加減の日々が減っていった。

時には銀座に買い物に行き、共にショッピングを楽しんだ。
服を合わせていると、突然彼女が泣き出した。

慌てて訳を聞くと、嬉しさからだと言う。

年頃の彼女ながら、洋服を買った事がなかったらしく、ましてや新しい服を選ぶなど、出来る状態でもなかった。

そんな彼女の込み上げる嬉しさは、私にとっても嬉しい事だった。

彼女が一番最初に家に来た時、彼女は同級生に、安易に私の電話番号を教えた。

私の携帯に見知らぬ番号から何度も電話が入り、驚いた。

それを彼女に伝えると、「住所は教えてないです」と言った。

住所も電話番号も守秘義務は同じであり、この時、なんだか彼女への違和感を感じた。

そして、その一番最初の違和感から、様々な場面であらゆる違和感を感じ始める事となる。

日々の生活で、伝えた事をすぐ忘れる。

時間の待ち合わせや約束の時間を間違える。

鍵をかけ忘れる。

トースターやオーブン、洗濯機に入れた物を取り忘れる。

貸したものをなくす。

物をしまい忘れたり出し忘れる。

様々な「忘れ」が目立ち、特に、火の止め忘れは一大事に繋がりかねないため、簡単な自炊ですら、やむを得ず遠慮してもらった。

伝えても繰り返し、私は度々注意も叱ったりもした。

目のつくところに専用のボードを設け、忘れないように紙に書いて貼ったり、単語帳のように、やるべき事を書いた紙の裏側に、頭に入りやすくするため答えのように記したり、事前に順を追って説明したり、色々と工夫はしてみたものの、中々直る事はなかった。

その度に、どうしたら直るのか、自分の伝え方が悪いのかと、苦悩の日々が続いた。

そして、彼女のSNSの書き込みにより、一人の友人を追い詰めたとの連絡が学校から入り、親代わりである私が校長・教頭・主任・担任と5人ほどを前に、彼女と共に、裁判のような形で数日の謹慎を言い渡された。

帰り道、彼女はずっと黙っていた。
私も、本当の真意が分からない分、何を発するでもなく、至って普通に接しながら、共に夕食を食べた。

後に、この事について語ってくれた彼女は、全面的には彼女が悪くなくとも、やはり真意は分からない私からは、彼女の言葉を聞き入れ、世の中には納得が出来ない事をも受け入れねばならぬ時、次からに繋げるアドバイスをした。

この頃から私は、彼女を卒業させ、自立まで導く自信が失われていた。

ある時、彼女の母親から児相宛に本人の障害者手帳が送られてきた。

彼女は注意欠陥の強い、ADHDを持っていた。

調べてみると、「不注意」の特徴が最も強いこのタイプは、気が散りやすく注意散漫だったり、ぼーっとしやすく、物をなくしたり忘れ物が多いなどの特徴が見られ、大人しく目立たないためADHDと気付かれにくい側面もある、とあり、まさにその通りだった。

そして他にも、気が散りやすく、集中力が続かない。

与えられた課題の途中で、別のことに手を出してしまう。

失くし物や忘れ物、落とし物が多い。

提出物や宿題など、忘れ物をすることがよくある。

ルールが守れない。

衝動を抑えることができない。

事前によく考えて行動出来ない。

物事をぱっと見で判断してしまい、うっかりミスをしてしまうことがよくある。

※リストは、ADHD(注意欠陥多動性障害)のもの。

以前、彼女が通っていた事が判明した専門の病院に再診察をしてもらった際、先生からは「このお嬢さんが色々忘れてしまうのは、仕方ない事なのよ」と言われ、愕然とした。

けれど反対に、ここから気持ちは楽になった。

私のスタンスである、「今出来る事」をすればいい事に改めて気付く。

そして、ADHDをふまえての彼女への接し方を今一度考える。

1.何よりもよく褒める
2.才能を発見する
3.順序立てた行動を促す
4.不安の軽減を図る
5.不注意を自覚させる

※ADHDの子どもへの接し方参照

様々な部分でのちょっとした考え方で、私の気持ちも晴れやかになった。

周りにいる里親の方々も、親身になって話しを聞いてくれ、たくさんのアドバイスをもらい、いつも励まされ、活力にも繋がった。

そうして、1年も経つ頃には、私に、「美和さん、コーヒー飲みますか?」と、私の好きなドリップコーヒーを入れてくれるようになった。

これには感動して、コーヒーを飲みながら胸が一杯になった。

4月1日。

彼女は自立のため、施設へと転居した。

天麦くんは、彼女を見送らず、1人2階でごねていた。

私は車を出発させた。

車の中では、去年一緒に参加した、私の仲間内とのバーベキューの催しの誘いを伝えると、彼女が口を開く。

「やっと私から解放されて良かったと思ってると思うのに、どうしてそんなふうに誘ってくれたりするんですか」と、涙ながらに話し始めた。

「美和さんの行動から学んだ事がたくさんあります。美和さんはどんな時も怒らずにいて、辛抱強く私と接してくれて、怒らない人は心にゆとりがあるって本に書いてあったけど、天麦くんにも怒鳴ったりしない、本当にそんな人なんだと思いました」の言葉には、思わず言葉に詰まった。

私は彼女にも、天麦くんにも、注意や怒ったりは常にあったのに、彼女の認識は、そんなふうに思っていてくれたんだと思いました。

私のスタンスは、お別れの時は笑顔で未来を送り出したく、「それは、あなたにも誰かに優しくして欲しいからだし、思ってそうしているのではなく、いつも自然だったよ」と笑顔で伝えました。

「今までも、面倒を見てくれる大人はいても、皆途中で私の事はあきらめられていたんです。だから、美和さんが辛抱強く私に接してくれて、嬉しかったです」とも言ってくれました。

施設の玄関から、いつまでもいつまでも手を振る彼女の姿に、やっぱり最後まで頑張って良かったと、無事終わるとそう思うのです。

彼女が入れてくれたコーヒーは、私にとって忘れられない一杯でした。

最後も泣いていた彼女でも、下向きではなく上向きだった泣き顔。

これからの未来、幸せであれ!