書。

先日、恩師の訃報を知らせる喪中ハガキが届いた。

恩師は、私が北海道釧路で、学生生活を過ごした時の、青年心理学の先生だった。

相当な習字の師範だった先生は、青年心理学の授業に習字を取り入れ、私達は、無心に筆を動かした。

穏やかで、優しく、いつも身なりや所作がきちっとされていて、会話をする度に、心から関心を持って耳を傾け、感情一杯の言葉を投げかけてくれた。

先生の書く文字は、本当に素晴らしく、文字そのものが芸術だった。

卒業してからも、年賀状のやりとりをし、ハガキにはいつも先生からの言葉が、素晴らしい書体で書かれていて、そのまま作品として飾っておける程だった。

卒業してからも、時折懐かしく、釧路にはよく足を運んだ。

そして、先生の家にも立ち寄り、お喋りをする。

暖房の入・切が分かるように、先生が書いた木札が床に置かれ、出掛ける時には木札を裏返す。

粋なオン・オフだった。

決まってごちそうしてくれたのは、釧路にある老舗のお蕎麦屋さん。

木札を裏返し、きっちりとコートをはおり、帽子をかぶり、きっちりと靴を履いて、蕎麦屋に向かう。

先生の人柄は、先生が書く「書」にも表れていた。

老舗で食べるお蕎麦は、粋なごちそうだった。

そうして、「又来ます」と釧路を後にする。

こんな先生との再会も、釧路を訪れる楽しみのひとつであった。

私の父が亡くなる前、父が書いた自身の教訓があった。

亡くなってから、その教訓を掲げておきたいと、先生に父の教訓を、色紙に書いてもらう事にした。

先生は快く色紙に書いてくれ、心を込めて書いてくれたその色紙は、私達家族を慰め、励ましてくれた。

その色紙は今も飾られ、あの時と同じように、私達の心を癒してくれる。

「書」がこんなにも、大きな意味を持つ事を知った。

人の心を動かす文字は、そこから溢れる知的さや上品さ、聡明さや人格、様々なものがプラスに働く。

今思うと、青年心理学で学んだ習字にも、大いに関係していた。

先生は100才という、素晴らしい人生の幕を閉じた。

書が映し出す先生の生き様こそが、きちっとした長生きにも繋がるという事を、改めて感じた。

今年頂いた先生からの年賀状を見返す。

そこには「釧路時代のこと、忘れていません。亡き父上様、きっと喜んでいらっしゃるでしょう。」と書かれていた。

この言葉が先生からの最期の言葉となった。

私も先生との思い出を胸に、又一歩を歩き始める。